2022年8月6日土曜日

廃線

ものすごく理解しがたいと考えていることがある。

相当前から団塊の世代が抜けた後の社会構造への対応について、日本社会は何も手を打ってなかったという結果について。

公共事業の民営化を行って、結局責任を民間に擦り付けて美味しい汁は自分たちで分配。なんの努力もなく民間となった企業は基本的に現状維持に徹しそれ以上の改革は行わない。

鉄道に関してようやく身近な危機として騒ぎ始めているが、何もしなければ赤字路線は廃線しかなくなる。根本的に何もしてこなかった各鉄道会社は当然廃線の方向で話を進めるしかない。本当にそうだろうか?

一時期、自動運転化の話がもてはやされていたが、結局うやむやのうちに頓挫してしまった。

どうすればよかったのか?結果論となるが、自動運行システムを構築する手法として、廃線化される予定の路線を実証実験に使用することで整備や運行が最低でも数年は行えるだろう。急を要するのであれば、分社化された各鉄道会社で独立させた開発を平衡させれば一つが頓挫しても代替手段が残される。延命された廃線に関しては時間をかけてその後どのように運営するのか方向を模索することもできる。

そのころからゆっくりやったとしても、実証実験まで20年もあればお釣りがくるだろう。

鉄道に関しては国鉄が民営化される前から確実視されていたし、だれもがわかっていたこと。

ゼロから路線を引くのとすでにあるものの維持を行うのとどちらが社会負担が少ないかは明白。そうでないなら管理・維持で利権で固められておかしくなっているだけ。 

結局、だれの指示もなければ良くても現状維持。普通に考えて劣化することしかない。合理化もされない。そういう結果が今の日本。


電車の話ついでとななるが、どっかの鉄道会社は運行ダイヤの見直しを行ってから、やたらと駅での待ち時間が増えた。急行などの停車駅を減らした列車を運行しても到着時間は始発駅から終着駅まで、せいぜい10~15分程度しか変わらない。無理に速度を上げて騒音・振動公害をまき散らすぐらいなら各駅停車を運行しても大した差はないはず。クソダイヤを計画するぐらいならもっとまともなダイヤにしてもらいたいものだ。

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